空想と現実の扱いを行動分析学の視点から考えてみた

カウンセラーがどのように空想と現実を扱うかということに関する記事を見つけました。このテーマは面白そうなので、行動分析学の視点から考えてみました。

きっかけとなったのが心理オフィスKの北川清一郎先生が書かれた記事です。

空想と現実から見たカウンセラーの専門性

空想と現実の扱いについての僕の考えは北川先生と似ているところもあれば、違っているところもあります。どちらが正しいというわけではなく、視点を変えると違う見え方になるというように思ってもらえればと思います。

そのため、北川先生の記事を引用することはせず、僕が行動分析学の視点から空想と現実の扱いについて考えたことをつらつら書いていくことにします。

興味のある人は比較してみるといいかもしれません。

空想とは何か? 現実とは何か?

空想と現実の扱いについて考える上で、そもそも「空想とは何か?」、「現実とは何か?」ということを考えたくなってしまいます。

僕たちが「現実」と思っていることは本当に「現実」なのだろうか?

映画マトリックスのように、脳に埋め込まれた電極によって「現実」と思い込まされている「夢」を見ているだけなのかもしれません。この世界が「現実」である保証はどこにもないのです。

もしかしたら、僕たちは、超高性能のコンピュータによってシミュレーションされた世界に生きているのかもしれません。

カウンセリングで語られる「現実」は「現実」なのか?

空想と現実の定義については、一般的なものを採用しようと思います。そうしないと先に進めないので(笑)

カウンセリングでは、クライエントが「現実」について語ったり、「空想」について語ったりします。「現実」のように語られたことが「空想」だったり、「空想」のように語られたことが「現実」だったりすることもあるでしょう。

例えば、あるクライエントが「現実」について語ったとします。それは本当の意味でその人が経験したことで、それを証明する人もいます。そのような「現実」をクライエントがカウンセリングで語りました。

でも、その「現実」は本当に「現実」なのでしょうか?

そこで語られた「現実」は、頭の中にあるものです。言葉を使って語られたその「現実」は、いわゆる「認知」というものを言語として表現したものであると言えます。

行動分析学的に表現すれば、「言語行動」ということになりますね。

関係フレーム理論での言語行動であれば、イメージなども含まれます。

もっとわかりやすく表現すれば、思考が語られたということです。現実に体験したことを語る時点で、思考を経由する必要があるので、すべてが思考に変換されていると言っていいのかもしれません。

思考というのはバーチャルなものです。

そこで語られた「現実」が過去にあった「現実」であったとしても、それは「今ある」現実ではありません。今は思考という状態で存在しているだけなので、バーチャルと言えます。

バーチャルであるのに、あたかも目の前に存在しているように感じてしまうのが人間です。だからこそ、人は苦悩するのです。

目の前に脅威がないのに思い出して恐怖を感じるのは、そのバーチャルなものを「現実」のように体験する能力を人間が持っているからです。

現実と空想を区別するなら

クライエントが語ったことが「空想」であっても、それはその人にとっての「現実」ということもあります。

例えば、「私は嫌われている」というのが「空想」だったとしましょう。「現実」には嫌われていないということです。

でも、「嫌われている」と思っているので、その人にとって「嫌われている」ということは「現実」なのです。その「現実」によって苦しんでいるということです。

そこで、それを現実か空想かという議論をすることもできます。

ただ、そこでの本当の問題は「嫌われているかどうか」ではなく、「嫌われているという思考のせいで人生がハッピーではない」ことだと思います。

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の言葉を使えば、価値に向かう行動が生起していないということです。

現実と空想を区別するとしたら、すべての思考を「空想」として、実際の行動とそれを取り巻く環境(文脈)を現実とするのがいいような気がしています。

人生がハッピーになる行動ができているかどうか。それがとても重要な問題だからです。

さらに言えば、空想と現実がどうのこうのという「思考」自体も「空想」なので、バーチャルなものです。そのような思考に巻き込まれて(フュージョンして)、肝心の行動が出てこないことが問題なのです。

だからといって「空想」が無意味かというと、そうでもないと思います。人は言葉の力によって行動をコントロールすることができます。現実がつらくても、「空想」によってその先に進んでいくことができるのです。

例えば、何かを達成するために必要なつらいトレーニングは、その何かが達成されたという「空想」によって支えられ、維持されるかもしれません。

行動分析学の視点から言えば、現実だろうが空想だろうがその機能がどうなっているのかということが重要ということになると思います。結局はケースバイケースということですね。

その中で最も重要なのが日常生活の「現実」がどうなっているかということなのだと思います。