多くの行動分析家は人々が自立していることを好むということに納得感しかない

行動分析学を学んだからなのか、もともとそういう考え方に親和性があったからなのかわかりませんが、僕も「人々が自立していることを好む」人の1人だと思います。

行動分析家は人々が自立していることを好むということに納得感しかありません。

これは、『行動分析的”思考法”入門 生活に変化をもたらす科学のススメ』に書かれていることです。

そこには「多くの」と書かれているので、自立していることを好まない行動分析家もいるのでしょう。どんなことでも「全員」というのは人数が多くなるとありえなくなりますからね。

行動分析学はちょっと独特の見方・考え方を持っているので、それを理解したり、それに馴染んだりするまで大変な学問だと思っています。そのせいで、誤解されていることもあるでしょう。

行動分析学的な見方・考え方を理解できない人もいるかもしれません。何事も合う合わないがありますからね。それは仕方ないことというか、当たり前のことだと思います。

それでも、行動分析学に対する誤解というものは少しでも減らしたいし、行動分析学の魅力や有効性などを知ってもらいたいと思っています。それもあって、何かにつけて「行動分析学」という言葉を使ったりしています。

話がそれてしまいましたが、タイトルにもある「自立していることを好む」ということについて、見ていきましょう。

行動分析家は人びとが自立していることを好む

自分のことを行動分析家と呼ぶのは気が引けますが、基本的に行動分析学ベースで臨床をしています。認知行動理論ベースと言った方が正確かもしれませんが、認知理論より行動理論の方が使い勝手がいいと感じています。

要支援者を目の前にしたとき、その人が自分の力(誰かに頼ることも含めて)で生きていくには何が必要か、どうやったらそのための力になれるかということを考えています。

これが行動分析学の影響なのかは判断が難しいところですが、おそらく行動分析学にはそのような視点があるのかもしれません。

多くの行動分析家は人びとが自立している状況を好みます。私たちは、人びとが他者に依存しなくてもいいように有効なスキルを身につけることを期待しています。優しさのある行動、思いやりのある行動、思慮深い、寛容な行動を好みます。より多くの人びとが、身の回りの世界でよい行動の恩恵を受け、それを強化するようになることを望んでいます。行動分析家として、敬意ある行動、公正で誠実な行動を、私たちは応援したいのです。(p.xv)

『行動分析的”思考法”入門』

これは『行動分析的”思考法”入門』のイントロダクションからの引用です。

行動分析学に基づけば、行動は環境の影響を受けることになります。ある行動が繰り返し生起するのであれば、その行動を維持する要因が環境にあると考えます。

どんな行動であっても、環境にそれを維持する要因がなければ、やがてその行動は生起しなくなるでしょう。SST(ソーシャルスキルトレーニング)などをするときは、この視点がとても重要になります。

要支援者が自立するために必要な行動が維持できるような環境が重要であるということです。逆に言えば、トレーニング場面だけで役に立つ行動を身につけたところで意味がないということでもあります。

誰でもすべてを1人でこなすことはできないので、誰かを頼ることになります。それでも、自分でできることを増やしていくことは重要だと思っています。

誰かがいないと生きていけないよりは、自立するために必要な行動が身についていた方がいいですからね。この辺は支援をするときに、ただ助けるだけではダメということでもあります。

魚を与えるか、魚を釣る方法を教えるか

魚を与えるか、魚を釣る方法を教えるかというのは、誰かを手助けするときに重要な視点だと思います。

今にも飢えて死にそうな人には魚を与える必要があるのは当たり前ですが、ずっと魚を与え続ければ、自分の力で食べ物を手に入れることができないままになってしまいます。魚をくれる人に依存しなければ生きていけないということです。

魚を釣る方法を身につけることができれば、魚をくれる人がいなくなっても生きていくことができます。でも、飢えて死にそうなときはとにかく食べないといけないので、魚を釣る方法を身につける余裕はありません。

どちらかが重要であるというのではなく、両方が重要で、そのときの状況によってどちらを優先するかが変わってくるというものだと思います。

自立を目指すのであれば、どこかで魚を釣る方法を教える必要があります。空腹を満たして、何かを学ぶ余裕が出てきているのに、魚を与え続けていると、その人は自立できなくなってしまいます。

ただ、この考え方は危険もはらんでいて、どうやっても魚を釣ることができない人にも魚を釣る方法を身につけるように強要する可能性があるのです。

この例を支援の文脈で言うと、書字障害がある人に文字を書くことを強要するということになります。

文字にするということが大事なのであって、書くことが大事なのではありませんよね。なので、支援としてはパソコンなどの代替手段が使われたりします。

魚の例で言えば、「魚を釣れないなら野菜を作ればいい」みたいな感じでしょうか。重要なのは食料を手に入れるということだからです。

自立というのは特定のカタチを持っているのではなく、自立という機能を持っている行動群として見ることができると思います。

「こういうカタチが自立だ!」というのは行動分析学には馴染まない気がします。やはり、機能を重視するので、「こういう機能が自立だ!」と言いたいところです。そういう意味で、人々が自立している方がいいなと思っています。

行動分析学の見方・考え方を知るには、『行動分析的”思考法”入門-生活に変化をもたらす科学のススメ』がオススメです。