ACTとコヒアレンス感、アントノフスキーが見出した健康生成要因

病気をせずに健康に暮らすことは、誰もが望むことだと思います。その健康に関するものとして、健康生成論というものがあります。

ポジティブ心理学-21世紀の心理学の可能性』によると、健康生成論はイスラエルの社会学者アーロン・アントノフスキー(Aaron Antonovsky)が展開した独自の健康理論だそうです(p.223)。

疾病論とは異なる立場で、健康を「健康-病気」の連続体という視点で見るのが特徴です。それがわかる部分を『ポジティブ心理学』から引用してみます。

健康生成論では、健康というものを、効果の裏表のように「健康または病気」と定義されるべきではなく、一方に健康極、他方に健康破綻極があり、より健康極側に位置する状態を健康と見なす。現代社会において「無病息災」は残念ながら多くの人にとって理想でしかありえないが、「一病息災、健康に生きる」という現実は大いにあることを考えてみると健康生成論の健康の定義は、非常に理解しやすいものとなる。(p.224)

『ポジティブ心理学-21世紀の心理学の可能性』

この健康生成論は、ストレスとの関係で述べられています。ストレス体験をしながら健康である人たちというのは、どういう人たちなのかという視点です。そして、健康生成論の理論的な柱の1つがこの記事にタイトルにも書いた、コヒアレンス感なのです。

コヒアレンス感とは一体何のでしょう?

コヒアレンス感(Sense of Coherence)って何?

コヒアレンス感という言葉は、『ポジティブ心理学』を読むまで知りませんでした。でも、ポジティブ心理学ではとても重要な概念なのだろうと思います。なぜなら、それがセリグマンのTEDでのスピーチに関係してきそうだからです。

『ポジティブ心理学-21世紀の心理学の可能性』によると、コヒアレンス感は、アントノフスキーが、大きなトラウマ体験を持ちながら健康に生きている人たちの存在に驚いて、なぜ健康が保たれているかを研究する中で見出した健康生成要因だそうです(p.225)。

大きなトラウマとは、強制収容所からの生還という体験と書かれています。

強制収容所と言えば、フランクルが頭に浮かぎます。意味への意思ですね。それとコヒアレンス感との関係は書かれていませんが、関係しているような気もします。

コヒアレンス感は3つの要素から構成されています。

  1. 有意味感(meaningfulness)
  2. 把握可能感(comprehensibility)
  3. 処理可能感(manageability)

有意味感はその名の通り、「自分の人生が意味あるものと感じる程度」(p.225)のことです。意味への意思を彷彿とさせますね。

把握可能感は、「自分が直面している問題は自分にとって秩序だった一貫したもので了解可能であると信じられる程度」(p.225)のことです。

処理可能感は、「自分が直面している問題にうまく対処するために、自分の資源を動員することができると信じられる程度」(p.225)のことです。これは自己効力感と関係があるのかもしれませんね。

この3つの要素が大事であるというのは、納得できますよね。もし真逆だとしたら、人生がどれだけつらいものになるか。

自分の人生には意味がなく、秩序がない了解不可能なものに直面し、うまく対処できないと思っているという状態です。すぐにでも様々な支援が必要だと考える人がほとんどだと思います。

ここでACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)持ち出してみる

ACTの重要な概念の1つに「価値」というものがあります。ACTでは価値に向かって行動していくことが重要であるとされています。そのためにアクセプタンスなどを活用していく感じだと、理解しています。

自分の人生にとって価値があるものに向かっているとき、人は自分の人生に意味があると感じると思います。逆に言えば、価値とは反対の方向に向かっているとき、人生に意味を見出すのは難しいでしょう。

周りの人たちがどんなに意味を見出していても、自分にとって無意味なことをやっていれば、人生はつまらないものになります。ハッピーな人生を送るためには、コヒアレンス感の有意味感が重要になってきます。

同じことをやっていたとしても、そこに意味を見出しているかどうかで、その捉え方が大きく変わります。

例えば、運動嫌いの人がただ運動しているときと、大切な人たちとの時間を長くするために運動しているときを比べれば、嫌いな運動をどう捉えるかが変わってきますよね。

苦痛でしかなかった運動が、大切な人たちとの時間と関係を持ち始めたとき、その運動に新たな意味が生まれます。大切な人たちと一緒に過ごすという価値に向かうものとして運動を位置づけたからです。

このような視点で考えると、コヒアレンス感の有意味感は、単に「意味あるもの」と思い込んだり、説得されたりするようなものではないと想像できます。誰かに教えられるものというより、自分の心の底から意味を感じられるものである必要があるということです。

それは自分では気づけないかもしれません。誰かから教えてもらう必要があるかもしれません。でも、それは誰かが「これには意味があるよ」と教えるのではなく、誰かの一言によって自分でそこに意味を見出しような感じだと思います。

有意味感というものを表面的に理解するのであれば、意味を教えればいいということになってしまいます。その人が意味を見出せなかったとしても、教えれば意味があると思えるようになるという視点ですね。

おそらくそれは間違いなのだと思います。

何に意味を見出すかは人によって違うはずです。だからこそ、周囲の人たちにサポートされながら、自分で意味を見出すというのが大事なのではないかなと思います。

最後に

もともとポジティブ心理学に興味を持った理由の1つがACTとの関連がありそうだったからです。コヒアレンス感という概念によって、ポジティブ心理学とACTが繋がったような印象を持っています。

今回かいたことは実証的な裏付けがあるわけではなく、僕が個人的に考えたことなので、完全に間違っている可能性もあります。

時間が経ったときに、この考えを自分で修正するかもしれません。

でも、同じものを別の視点から見ているだけなので、ポジティブ心理学とACTがどこかで繋がるということはあるだろうなと思っています。