人は感情を何らかの方法で調節しながら生活しています。その調節は無意識に行われることもあり、感情調節のスキルが必要なことに気づかない人もいるかもしれません。
感情調節困難は、感情の調節が難しい状態を指しています。感情に振り回されている状態と言えばわかりやすいかもしれませんね。
感情調節困難という名前から、感情調節が問題になっているということがわかります。
でも、本当の問題はそこではないのかもしれません。
感情に振り回されるということは、行動が感情によって規定されてしまっているということです。不安や恐怖は回避・逃避に繋がり、怒りは攻撃に繋がります。
冷静な状態では選択しないような行動を選択してしまうことが、感情調節困難の大きな問題だと思います。
それと同時に、本当に望んでいる行動を選択できないという問題も出てきます。ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の「価値」と関連する問題です。
感情調節困難と価値に基づいた行動を考えてみましょう。
感情調節困難とは?
感情調節困難は、うつ病などの医学的な診断とは異なります。
感情調節困難とは:誰にでも感情の浮き沈みがあります。誰にでも自分なりに感情を調節しています。しかし、誰にでも感情の調節が困難を感じることがあります。
感情調節困難支援ネットワーク:長谷川メンタルヘルス研究所
ここで言う「感情調節の困難」とは【感情調節】を試みても(個人的工夫、薬物療法、心理療法など)なかなか改善しない、または増悪する為に、生活に支障が起きてしまうような状態を指します。
これは感情調節困難支援ネットワークの発起人である遊佐安一郎先生が所長を務める、長谷川メンタルヘルス研究所のサイトに書かれているものです。
この説明でもわかるように、感情調節困難は感情調節を試みてもうまくいかない、あるいは余計に悪化してしまう状態のことです。
どうやっても怒りがおさまらないとか、長く悲しみに暮れているという場合、感情調節が困難な状態になっていると言えるかもしれません。
感情調節困難を考えるとき、この説明がベースになると思います。サイトにはより詳しく書かれているので、興味のある人はご覧ください。
感情調節困難は何が問題になるのか?
感情というのは、人の行動に影響を与えます。
「感情的になる」という表現があるように、強い感情が生起したときには、その感情によって普段とは異なる行動をしてしまうことがあります。
落ち着いてから振り返ってみたときに後悔するような経験は誰にでもあるでしょう。
もしそのような状態が長く続いたり、断続的であってもその頻度が極端に多かったらどうでしょうか?
おそらく、日常生活に支障が出て、本当であればやっていたこと、やりたかったこと、やらなければいけなかったことができずにいることになると思います。
感情調節困難には「生活に支障が出てしまう」ということが含まれていますが、そこが最も大きな問題になると考えています。
人はいろいろな感情を抱えながら日常を過ごしています。不安を抱えながら仕事をし、怒りを感じながら勉強し、悲しみを感じながら友達と会ったりします。
不安だからと言って仕事をしなければ収入が途絶えてしまいます。生活を維持するため、感情とともに多くのことをしています。
感情調節困難の人は、そうでない人と比べると、感情とともにできることが少なくなっている状態と考えられます。それだけ強い感情を体験しているということでもありますね。
感情調節困難が感情の問題だとしたら、感情調節ができるようになることが目標になります。
もしその目標を十分に達成したとして、生活が何も変わっていなかったら、それはハッピーな人生と呼べるでしょうか?満足できるでしょうか?
感情的なつらさがありながら、やりたいことができている状態だったとしたら、その人生はどのようなものと捉えられるでしょうか?
価値に基づいた行動
ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)では、「価値」が重要なものの1つとされています。
その価値に基づいた行動がACTの目標の1つになっています。
ACTの価値とは?
ACTの価値とはどのようなものなのでしょうか?
価値は、未来についてよりも、むしろ「今、この瞬間」を生きながら個人的な価値を含んだ活動に従事することにより多く関係している。そうした活動は、言語的に構築されたその人の持つ人生への願いとつながっているおかげで、強化的な特性を備えるようになる。(p.151 )
『アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版』
ACTでは価値をこのように説明しています。ここでの「強化的」は、行動分析学での「強化」を意味しています。
価値は、「どう生きたいか」、「どうなりたいか」というような人生の目標と呼べるようなものを指しています。
例えば、「人の役に立ちたい」という価値を持った人がいたとします。その人が困っている人を助けなかったとしたら、それは価値から遠ざかる選択をしたことになります。
ACTの価値は、単に「カウンセラーになりたい」というようなものではなく、「カウンセラーになって何をやりたいの?」という質問を繰り返した先にあるものです。
僕のスーパーヴァイザーは「価値とスキーマは裏表の関係」と言っていました。このスキーマはスキーマ療法のスキーマを想定したものです。
つまり、価値とは中核にある信念と関係するようなものということですね。
いくつかのACTに関する本には、「価値のワーク」(価値を明らかにするためのワーク)で価値に触れたときに泣き出す人が多いということが書かれていたと思います。
ACTの価値とはそのようなものなのです。
価値と行動
人は「価値」が明らかになったとしても、それだけで満足できるわけではありません。価値に向かうことが必要だからです。
価値は行動に影響を与えますが、価値が必ず行動に繋がるわけではありません。そこで、価値と行動を繋ぐ必要が出てきます。
価値はそれが重要なものであればあるほど、回避を引き起こす可能性も高くします。
例えば、「素晴らしいセラピストになりたい」と思っていたとします。その思いが強ければ強いほど、「自分はダメなセラピストだ」ということを突き付けられる場面を避けやすくなります。
残酷な現実を突きつけられるのは誰でも嫌なものですよね。
そこで、ACTではアクセプタンスや脱フュージョンなどを使って、価値に基づいた行動を生起しやすいようにしていきます。
ここまで来れば、感情調節困難と価値に基づいた行動の関係もぼんやり見えてきます。
感情調節困難と価値に基づいた行動
感情調節困難は感情に振り回された状態です。不安を感じたら回避、怒りを感じたら攻撃、というように、感情と行動が強く結びついている状態と言えるかもしれません。
価値に向かうということは、様々な感情が喚起されます。
「うまくいかなかったらどうしよう」という認知が出てくれば、「不安」が喚起されます。
その「不安」という感情を調節できなかったら、不安を回避するためにチャレンジすることはなくなるかもしれません。
そのチャレンジが価値と関連していたとしたら、価値に基づいた行動が生起しないということを意味します。
感情調節は誰でもやっていることです。それがうまくいくかどうかはその時々で違いますが、感情調節困難の人も感情調節を試みていることには変わりありません。
感情調節がうまくいかなかったとしたら、価値に基づいた行動が出てくる可能性は低くなります。価値に基づいた行動が少なければ、人生はつまらないものになるでしょう。
そのため、感情調節の目的は、価値に基づいた行動が出やすくするということだと考えています。
最後に
「行動」に価値を置くと、感情調節困難を単に感情の問題として考えるではなく、「行動」の問題であると考える視点が出てきます。
徹底的行動主義では感情も行動なので、感情の問題も行動の問題として捉えるわけですが、ここでは「何をするか」という意味で行動を捉えています。
「感情調節困難の感情調節に問題がなくなったとしたら、それでいいのか?」という問いは、「どんな人生を送りたいのか?」という問いにも繋がっています。
感情調節ができるようになることを目的にするのではなく、感情調節を手段として用いることが重要なのだと思います。
「すべての問題が解決したとしたら何をする?」というミラクル・クエスチョンのような問いの答えが、目指す方向を教えてくれるかもしれません。