【良い?】「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を考えてみる【悪い?】

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」という方法。効果があるのはわかりますが、本当にそれでいいのかと疑問に思います。でも、それをうまく言語化できません。

畿央大学の大久保賢一先生(Twitterアイコン素敵です!)もTwitterで、すぐに反論するロジックを組み立てられなかったと言っています。

先生が児童・生徒に対して、「厳しく叱ったとに思いっきり褒める」方法を使っているということだと思います。ここでは、児童・生徒への対応として書いていきます。

どこに引っかかっているのか、この方法が良くないとしたらそれはどのような理由なのか、良い方法だとしたらその理由は何か、ということを考えてみたいと思います。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を定義する

まず、何をどう考えていくかの枠組みを作ることから始めようと思います。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を考えるために、それを定義していきます。理論的な分析が可能になる定義を目指します。使う理論は、行動分析学です。

行動分析学とは?

行動分析学がわかっている前提で書いていくこともできますが、簡単に行動分析学を説明してから、考えを進めていきます。

行動分析学は行動をターゲットにした学問領域で、行動の予測と制御を目的としています。

心理学との関係で言えば、「心」を行動から明らかにしていこうというスタンスと思ってもらえるとわかりやすいと思います。

行動分析学で重要なものの1つがオペラント条件づけです。オペラント条件づけは結果によって行動を制御する条件づけのことで、それによって行動を変えることができます。

オペラント条件づけでは、行動の前後を見ていきます。「先行事象-行動-結果」の連鎖を考えます。

機能分析/ABC分析

「先行事象-行動-結果」の連鎖の中で、ある行動をした直後に、何かが付け加わったり、取り除かれたりという結果があるときに行動が変わっていきます。

詳しい説明は省きますが、行動分析学では行動が増えることを「強化」、行動が減ることを「弱化」と呼んでいます。結果が付け加わるか取り除かれるかで、それぞれ2種類ずつ、合計4種類になります。

  • 正の強化:何かが付け加わることで行動が増える
  • 負の強化:何かが取り除かれることで行動が増える
  • 負の弱化:何かが取り除かれることで行動が減る
  • 正の弱化:何かが付け加わることで行動が減る

この順番は、行動を変えようとしたときに優先する順番と言われています。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を分解

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は、2つのことがセットになっています。それは、「厳しく叱る」と「思いっきり褒める」です。

そのターゲットになっている行動は同じではないはずで、同じく2つあると考えられます。

「厳しく叱る」のターゲットになっているのは、「減らしたい行動」だと推測できます。

一方、「思いっきり褒める」のターゲットは、「増やしたい行動」でしょう。

この2つの行動に対する2つの方法について、見ていくことにしましょう。

「厳しく叱る」方法

児童・生徒が何か「悪いこと」、より正確には、「先生が悪いと思っていること」をしたとき、先生はその行動をなくしたいと考えます。

一般的には、「注意する」、「怒る」、「叱る」などの対応がなされると思います。これらはどれも「何かが付け加わることで行動が減る」という枠組み、「正の弱化」を狙ったものです。

児童・生徒が何をやったのかはわかりませんし、「悪い」という価値判断の問題もあるので、ここでは児童・生徒が「先生が減らしたいと思う行動」をしたとしておきます。

「減らしたい行動」をオペラント条件づけの枠組みで見てみると、次のようになります。

「減らしたい行動」の分析

「叱り」がない状態で、「減らしたい行動」が生起し、「叱り」が付け加わるというのが想定される分析です。ただ、学校での指導を考えたとき、「減らしたい行動」の直後に指導があるとは限りません。

その場合は、ルール支配行動を狙った指導と言えるかもしれません。ルール支配行動を簡単に言えば、言葉によって制御された行動です。

どちらにしても、「厳しく」叱るので、児童・生徒には「怖い」や「嫌だ」といったネガティブ感情が生起すると考えられます。おそらくここがポイントになるのでしょう。

時間が経ってから「減らしたい行動」を厳しく叱ることで減ったとしたら、「叱られるのが嫌だからやめよう」か、「良くないことだからやめよう」という考えが行動に影響を与えていると考えられます。

「思いっきり褒める」方法

児童・生徒が何か「良いこと」をしたとき、先生は褒めることがあります。その「良いこと」は、「先生が増やしたいと思う行動」です。

ここでは、「増やしたい行動」として説明していきます。

「厳しく叱る」方法と同じように、「思いっきり褒める」方法でも、「増やしたい行動」の前後に何があるのかを見ていきます。

「増やしたい行動」の分析

「褒め」がない状態で、「増やしたい行動」が生起し、「褒め」が付け加わるというのが想定される分析です。これは「正の強化」と呼ばれるものですね。

ただ、学校での指導では、後から褒めるということも行われるので、「増やしたい行動」の直後に「思いっきり褒める」方法が使われるとは限りません。

その場合は、ルール支配行動を狙った指導になります。

ほとんどの児童・生徒は、褒められれば嬉しいし、喜ぶので、ポジティブ感情が生起することになります。ここもポイントになりそうですね。

児童・生徒は、「褒められたいからまたやろう」、「良いことだからまたやろう」などの考えに基づいて、「増やしたい行動」を増やすことが想定されます。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の定義

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は、「厳しく叱る」方法と、「思いっきり褒める」方法に分解することができ、それを組み合わせた方法と言えます。

行動分析学の用語を使えば、「正の弱化と正の強化を組み合わせた方法」ということになるでしょう。

さらに、重要なポイントは、その順番です。

先に「正の弱化」(厳しく叱る)があり、その後に「正の強化」(思いっきり褒める)があります。逆ではありません。

この辺がDVやマインドコントロールの方法と似ていると批判されるところだと思います。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を行動分析学の視点から見る

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法を行動分析学の視点から見てみます。

この方法には正の強化と正の弱化以外に、ルール支配行動も関係してきていますが、ここではまとめて正の強化と正の弱化という表現を使っていきます。

より厳密な分析をするためには状況を確定させる必要がありますし、ここで検討したいことにはそこまで必要ないという判断からです。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は効果があるので、良い点と問題点があります。その両方を見ていきましょう。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の良い点

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の良い点は、正の強化によって行動を増やしていることです。

行動分析学では、行動を変えるときに正の強化を最優先にした方がいいと言われています。行動を増やすことで、行動を変えていくということです。

児童・生徒の行動を減らしたいとき、正の強化はあまり使われないように思います。「怒ること」などが優先され、それでも変わらなければもっと厳しく怒る方法が選択されやすいということです。

でも、この「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法では、「思いっきり褒める」で正の強化が使われています。それは、児童・生徒の「増やしたい行動」が増えることを意味しています。

これが、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の良い点と考えられます。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の問題点

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の問題点の1つは、正の弱化を前提にしているところにあると思います。正の弱化を使って、正の強化の効果を高めるという感じですね。

弱化(罰)の使用には問題があることがわかっています。「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法では正の弱化を前提としているので、その問題を避けることができません。

『メリットの法則-行動分析学実践編』(p.84)には、弱化を多用することによる副作用について次のように書かれています。

  1. 行動自体を減らしてしまう
  2. 何も新しいことを教えたことにならない
  3. 一時的に効果があるが持続しない
  4. 弱化を使う側は罰的な関わりがエスカレートしがちになる
  5. 弱化を受けた側にネガティブな情緒反応を引き起こす
  6. 力関係次第で他人に同じことをしてしまう可能性を高める

『メリットの法則-行動分析学実践編』

1番目の「行動自体を減らしてしまう」というのは、行動全体の話で、何もしないようになるということです。 『メリットの法則-行動分析学実践編』 では、「いわゆる「積極性」が失われやすい」(p.84)と書かれています。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の問題点としては、弱化による副作用を避けられないことが挙げられます。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」問題の何が問題なのか?

ここで、大久保先生の別のツイートを見てみましょう。

ABAは応用行動分析学のことです。

ABAのやり方でも、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法でも、どちらも相手をコントロールしていることには変わりないので、同じことなのではないか?

そのような意見に対して、どのようにロジックを組み立てるかというのがここでの問題になります。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」問題に対する個人的意見

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法には効果があることは認めます。それと同時に、他の方法があるのではないかとも思っています。

やはり弱化はできるだけ使わないようにしたいと思っています。そこが、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法に対する僕の疑問なのでしょう。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は、正の弱化が前提になっていますからね。

児童・生徒に対して何かをするということは、児童・生徒に影響を与えることでもあります。行動分析学は行動の予測と制御を目的としたものなので、ある程度思い通りの影響を与えることができます。

行動分析学には「行動を変える方法」はありますが、「どう変えればいいか」という哲学や思想といったものがありません。

行動分析学を使えば、児童・生徒を先生の指示に従うようにすることはできるでしょう。でも、それが良いのか悪いのかということについて、行動分析学は沈黙するしかないのです。

そのため、これは「学問的」ではなく、「個人の価値観」の問題が強く反映される問題になると思います。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の影響

短期的な視点で見れば、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は効果的です。児童・生徒は先生の言うことを聞くようになるでしょう。

問題となるのはおそらく、長期的に見たときにどのような影響があるのかというところだと思います。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は、「クラス」という逃げ場がない環境の中で使われます。本当は「学校に行かない」という方法があるのですが、実質的に禁止されているようなものです。

逃げられない環境の中で、絶対的な権力を持っている人(先生)から厳しく叱られるというのは、児童・生徒にとって心理的に大きな影響があると予想できます。

逃げられるのであれば、「先生怖いから」という理由でそのクラスに行かない選択ができます。でも、今の学校では不登校以外に逃げ出す手段がありません。

児童・生徒は「先生に適応する」か、不登校になるかの2択を迫られているのかもしれません。

そして、その先生は厳しく叱るだけでなく、きちんと褒めてくれます。「怖いけど優しい先生」と評価されるかもしれません。

これは、良いことのように思えますが、児童・生徒の「適応戦略」の可能性も考えられます。

言い方を変えれば、そう思わなければクラスで生きていけないということです。

誰でも叱られることは嫌なので、叱られないように振る舞うことを覚えていきます。行動の選択基準が「叱られるかどうか」になることも考えられます。

「これをやったら先生に怒られるからやめよう」という選択基準の問題は、「怒られなければやる」ことに繋がっているところにあります。担任が変われば元に戻る可能性もあります。

それと同時に、「叱られること」を過度におそれ、「失敗しないこと」を最優先にする可能性もあります。

悪い影響はいくらでも考えることができると思いますが、児童・生徒全員がそうなるということではなく、そうなる児童・生徒もいるということです。

もし児童・生徒がこのようになったとしたら、その児童・生徒が大人になったとき、自分より強い人には逆らわず、理不尽さに耐え続けるようになるかもしれません。

先生と児童・生徒の間には、絶対に超えられない権力の壁があります。最終的には、児童・生徒は先生の力でねじ伏せることができるからです。

このアンバランスな力関係を利用しているように見えるのが、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法だと思います。

ABAと「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法の違い

ABA(応用行動分析学)には、対象者の行動を制御する技法が含まれています。それは、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法と同じです。

というより、「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法もABAで分析可能であり、ABAで選択可能な方法なのかもしれません。

ABAの本を読んだり、ABAを実践している人の話を聞いたりして思うことは、行動を変える目的が「対象者のQOLを高めること」にあるということです。

この記事に合わせていえば、児童・生徒のQOLを高めることを目指しているということです。

それと同時に、可能な限り苦痛を伴う方法を使用しないという考え方もあると思います。これは「アメとムチではなく、アメとアメなし」という言葉で表現されたりします。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法は行動の原理に基づいた方法であると同時に、児童・生徒に苦痛を与えることを前提とした方法と言えます。

厳しく叱ることは必要でしょう。でも、それと「思いっきり褒める」をセットにする必要はないと思います。

ある行動を減らしたいのであれば、まず別の行動を増やして、対象となる行動を減らせないか試みる必要があります。

いろいろな方法を試しても効果がない場合に限り、苦痛を伴う方法が検討される方がいいというのが僕の意見です。

使われている方法ではなく、そこにある理念や倫理、思想、価値観が、ABAと「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法では異なっているのだと思います。

「苦痛を与えること」を最初から使おうとするかどうか、ということですね。

最後に

この記事を書きながら自分の考えを整理しましたが、これが最終的な結論ではなく、今のところの結論という感じです。

「厳しく叱った後に思いっきり褒める」方法に対する僕の疑問の1つは、「苦痛を与えることを前提としていいのか?」というものだったのでしょう。

ただ、まだうまく説明しきれていないこともあります。それは、「コントロールすること」についてです。

行動分析学は行動の予測と制御を目的としているので、行動のコントロールと繋がっています。

それが「児童・生徒を思い通りに動かすこと」なのか、「児童・生徒のQOLを高めるために必要な行動を身につけてもらうこと」なのか。

目的や方法では説明できない何かがそこにあるような気がしています。見方を変えれば、児童・生徒と関わる専門家(教師含む)の随伴性がどうなっているかということなのかもしれません。

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